●『説経とその枝葉』(一)

 最近の子供さんは「お説経」と云っても解らないのではないだろうか。
私どもの年代だと恐いものの代表は「地震雷火事親父」と云われ、 親父は怖い存在であった。特に、親父の「お説教」は地獄で、 長々と正座にて御叱りを被り、姿勢を崩すや間髪を入れず長い竹の 物差しで叩かれる苦行であった。嫌なら止めれば良いと解っていながらも、 悪さを仕出かし又お説教にあったが、今では懐かしい思い出になっている。 このお説教と云う言葉は仏教から来たものだが、以外にもお説教自体を 源とする伝統芸能が数多くある。今回から「説教(説経)」を取り上げ、 その枝葉とも言える芸能がどのようにして出来上がっていったのかを見て行 こうと思う。

 以前取り上げた「声明」と共に、日本の 「歌う芸」「話す芸」「語る芸」の 源流と云われ、謡曲・平家琵琶(琵琶唄)」・浄瑠璃・講談・浪曲・様々な 門付芸などが発生しており、現在の歌謡曲もその影響下にある芸能と言える。 このように説経は日本の芸能史に欠かすことの出来ない存在であるが、又、 説経に流れる仏教思想はあらゆる文学作品に多大な影響を与え、日本の文学史上 でも無視出来ない存在になっている。
 本来、説経(説教)と云う言葉は、仏教の経典経義を購読することで、 経典を購読する僧侶を「説経師」と呼んでおり、音曲を伴う語りを意味 するものではなかった。
 最初に流行した平安時代の説経は、経典の講釈を中心とする「購説」と、 比喩因縁を盛り込んで経典経義を説く「説経」「談義」とに別れていた。 この時代には、まだ仏教は一般民衆のものではなく、一握りの貴紳階級を 対象としたものであったが、中期頃から庶民層まで広げることを考える僧侶が 生じ始めた。末期になると活発化し、教えを説く説経師達は仏教の大衆化を 図る為に、無知蒙昧な庶民層に焦点を当て、彼らが仏教を迎え易くする手段 として、教儀を判り易く説く為に機知に富んだ通俗的な法談を行うようになった。 しかし、教義を噛み砕いて説いても限界があり、比喩因縁と結び付ける様になった。

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