邦楽ニュース VOL.228

   三味線・琴を作る職人(10)
大瀧 進一郎

私の父は輸入されたタイ国産の花林と云う木を丸太で買い、それを細かく製材して三味線の材料に加工して 売るのを商いとしておりました。花林の木は日本には無い木で、直系1m以上あって、高さは30mもある 大変大きな木です。そして、この木を10mくらいに裁断して、板におろして輸出されて来ます。三味線の 胴とお稽古用の棹のほとんどに用いられます。胴はどんな良い三味線でも花林で作ります。良い胴の材質は 100本ある丸太の中でも1〜2本しか有りません。その良し悪しを見分けるのが職人の腕なのです。丁斧を 持って一本一本丁寧に丸太の端を削って選別して行きます。
 当時は買い付けの時に丸太を選別するのに、一番最初に見るのと、二番目に見るのでは大変な違いなので、 次の人が見ても判らないように、ほんの僅か削るだけでその良し悪しを判断しなければならず、大変苦労を していました。今はタイ国やラオス・カンボジア等で検品する際に、大きく削るので誰でも判ります。当時の 同業者には花林で和室用テーブルを作たり、仏壇を作る方もありました。又、一時、目の綺麗なものは 「つき板」にしていました。これは皆様が使っておられるステレオやキャビネット等に薄く剥す様に削って 張ったものです。
 私の家が深川でしたので、その時代には輸入された丸太は、床の間に使う柱として大きな銘木屋さんに 入荷し、その中から三味線に向くものを譲って貰っていたのです。貯木場に浮かぶ太い丸太の上を行ったり 来たりし、良く見えないところは丸太の間に潜って削って見たものです。製材所特有な強い木の香りが今でも 忘れられません。
 昭和10年代の木場は材木屋や銘木店が建ち並び、下町らしい雰囲気の活気の有る町でした。深川は職人の 町と云うだけあって、様々な職人さんの家が軒を連ねて住んでいました。  私の家の隣は鋳掛屋、もう片方はその当時では珍しい円タクの運転手、その他、彫刻屋、材木屋、活版 印刷屋、井戸屋等々。そして川が何本も有り、材木を組んだ筏が沢山浮かんでいました。その他、川を区 切った貯木場も有り、よく川で泳いで叱られたものです。従って町は常に賑やかで、朝早くから夜遅くまで 大きな声が絶えませんでした。


   ●連載

§邦楽に描かれた吉原(三十八)
§日本の伝統音楽〜「語り物」(二十九)


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