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前号にて「三弦の調子の事」をお書き下さった中村孝之師が住職をなさっておられる
魚藍坂に在る浄土宗大信寺は、「三味せん寺」として知られています。何故ならば
江戸時代の三味線製作者として名高い石村近江家歴代の墓所があるからです。
この石村近江家の墓所は昭和七年(1932)に三月に東京市より史蹟に指定されています。
現在正門脇に「史跡・石村近江 江戸における三味線の始祖」と刻まれた立派な石碑が
建っております。
この大信寺は徳川家が江戸にて幕府を開いた直後の慶長十六年(1611)に開山凉公上人が、
幕府より南八丁堀に寺領八百二十四坪を拝領し、一宇を創建した事にて始まります。
創建当時の江戸は、政治の中心として大発展の途上で、家康公の招聘により上方より学者、
僧侶、技能優れた職人達が多数下って来ていました。初代石村近江もその中の一人です。
江戸城外郭の大拡張と、日増しに大都市として膨張する江戸の商業地域拡大に対する
土地確保の余波を受け、現中央区・千代田区所在の寺社の多くは、当時の江戸近郷に
移転を余儀なくされ、寛永十二年(1635)に大信寺も上知されて、現在の三田魚藍坂の
地に移転しました。移転後の翌年三月二日に江戸三味線製作の始祖と言われ、名工の誉れ
高い初代石村源左衛門近江が没し、大信寺に埋葬されました。大信寺と初代石村家と
の拘りは、明暦・弘化の二度の江戸大火にて貴重な文献類を焼失していますので不明
です。只、石村家が代々京橋北一丁目に居住していたことから見て、最初の寺地南
八丁堀とは近いので、家の宗旨が浄土宗故に当寺開山の上人と縁が結ばれ、
檀家となっていたのではないかと推測されます。石村家は代々石村近江の名を継承し、
優れた三味線製作者を輩出し、明治迄十三代継承されています。三味線名工石村家の
菩提所として数多くの参詣者が見え、香華が絶えず、何時しか「三味線寺」と呼ばれる
ようになりました。都営大江戸線・都営三田線の白金高輪駅から近く魚藍坂を登って
左側にありますので、近くにお出での折には、一度訪ねて見て下さい。
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