●日本の伝統音楽〜「語り物」(十六)

【義太夫節浄瑠璃(9)】


■娘義太夫の出現 V
 天保二年に発令された禁令では、それまでより強化され再度の女浄瑠璃の寄席出演禁止と、 それまで許されていた男浄瑠璃太夫の寄席出演も禁止の対象とされ、寄席での義太夫浄瑠璃 は全面禁止となりました。しかし、禁止にも拘らず女義太夫はなかば公然として寄席に出演し、 天保八年には「娘浄瑠璃芸品定」[日本庶民文化史料集成第七巻・人形浄瑠璃 所載]と云う 評判記も作られ出版されていました。この評判記には、江戸市中八十六軒の寄席並びに 百八十九名の女義太夫語りの歌舞伎役者と対比してのランク付けと、個人個人の芸を含めた 批評が記されています。
 天明七年(1788)十一月の女浄瑠璃禁止以後、天保十二年迄の(1841)六十三年間、 町奉行所は幾度と無く女浄瑠璃の禁止令を出し続けてきましたが、取締の手ぬるさから 一向に改まらず、禁止とは逆行して益々繁盛していました。
 老中に就任した水野忠邦は自己の推し進める天保改革の一環として、社会風儀上とかく 売春行為と結びつき問題のある、女浄瑠璃の断固壊滅を北町奉行遠山左衛門尉景元に 命じた。この指示により天保十二年十一月二十七日夜、町奉行所は娘浄瑠璃出演の寄席を 手入れし、寄席経営者七名と娘浄瑠璃語り三十六名を逮捕した。
『市中寄せ場定席と唱し、女浄瑠璃人集メ渡世致候者有之、中ニは不正之風聞有之候ニ付、  召捕ニ相成候。光之助(23)・小鉄(22)・くま(16)・なつ(15)・語登代(29) ・志賀子(27)・富之助(22)・志賀介(19)・巴山(23)・巴勢(18)・多喜(24) ・巴女(30)・巴泉(22)・巴鐘(17)・巴勢喜(34)・勢喜豊(19)・龍之介(16) ・語寿(23)・小千代(18)・雛久(24)・亀光(16)・寅之助(17)・浜吉(16) ・勢喜紋(18)・染之助(40)・春之助(16)・中喜代(16)・氏中(23)・氏勝(30) ・錦之助(16)・錦治(15)・秀之助(16)・紋之助(16)・雛治(20)』
最高齢は四十歳の染之助で、十代が十七名、二十代が十四名、三十代が二名、四十代が 二名であった。この有様を江戸の庶民は当時流行していたトッチリトン節に
『寄場よひのにきびしいおふれ、三度や語豊(五度)の事じゃない、巴勇やめればよふ語寿に、 巴女をさらして引出され、巴山(残)ねんな事をした、雛久(ひさびさ)やめて居たもの を、わるい事には染之助、巴勢喜しわすに押つまり、見物群集道之助』
と、娘義太夫の名を洒落込んで歌っています。
 翌十二年三月、娘浄瑠璃を興行していた寄席主は家財没収・江戸所払となり、浄瑠璃語り の女子供は手鎖の処分を受け、使用の三味線は町奉行所にて壊され焼却された。 浄瑠璃語りハ四月十二日ニ手鎖ヲ御免ニなった。[近世庶民生活資料第二巻所収・藤岡屋日記]
 この時逮捕された女浄瑠璃語りの大半は、天保八年に刊行された「娘浄瑠璃芸品定」 にその名前が載っています。

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